見えてる範囲と、議論の空転
まあ、人間、自分の見えてる範囲、認識できてる範囲で
物を考えることしかできないので。
これはまあ、物理限界なので、
それ自体は避けられない物ではあるんだけど。
それを認識しているかどうかが、議論の空論化?
なんかに直結する話なので、論を張ったりするんなら
自分の認識、世界と言ってもいいか、を把握して
立ち位置を明らかにしないといけないよな、とか思う
全く今更なんだけど
netの海に漂う、あれこれの論。
まあ、立ち位置というか、
これこの人、ほとんど何も知らずに論張ってるなあ、
なんて思って、見てたりする。
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物づくりなんて、出来てるつもりの人
自分もか... が多いので、くらくらすることも多い
例えば自動車の話、なんてのもよくあるな...
昨今のEVとかAIとか、まあはやりの分野もあるけど
車のハードとソフトの議論とかばかりで、
何だこりゃ、なんてのもあったり。
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車のハードと、制御ソフトだけで
自動車が成立するならば....
例えば、氷山なんて、水面上の物だけでできちゃうよ....
スマホでいえば、液晶とバッテリ、
通信モジュール組み立てて、
あとは、iOSかアンドロイド入れれば、
もう何でもできる、って思ってるようなもんだ
そりゃ、その程度のガジェットなら、簡単に作れるよ。
でも、そんな話をしてもしょうがないだろう?
そもそも基地局、インフラ整備運用とか、
膨大なサーバーのあれこれ、各種法律、
規制とか、その辺一切合切抜きにして、
議論しているようなものだ
君にとってのスマホって、
その手に持ってる板切れがすべてなのか...とか
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暇つぶしの娯楽以上の話では無い、
てなら良いけど、何か主張するには
余りにも稚拙だなあ、とか感じたりもする
そんな話ばかりするなら、
相手というか、世間?が相手にしなくなるもの
そりゃそうだろ、という感じだけど
悪いのは周りのほうだ、なんて毒が見えたりすると
如何すりゃいいんだろね、これ、
って気持ちになる
まあ、とはいえ、実際には
見かけたときに一瞬、悲しい気持ちになるけど
それ以上のものではなく、
粛々と楽しくやってるのではあるのだけど、
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