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2021年5月24日 (月)

自己評価?

自己評価が高いとか
低いとか、適正とか。
まあ、(概念は)分かるような
気もするけど....

思春期の頃なら、
だれしもそういう事、
気にするように思うし。

なんなら自分もそうだったと思う。

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でもまあ、振り返ってみて、
人生、何時までも、
そんなことにかまけていられる
ほど、ヒマはなくて。


上手く行かないことを
あれこれ悩んだり、
分析している(風)のに
飽きてくる。

こんなの、どうせ結論出ないし
実際、上手く行かないことを
なんとかするのに、全く役に
立たないのははっきりしている。

で、いつの頃からか、
自己評価とか、自己肯定感なんて
そもそも、思考の対象に
ならなくなった。



自分のこと、良く言われりゃ、
そりゃ素直にうれしいけど、
悪く言われても、弁明することすら
面倒ですらなくて、興味ない、
という感じが近いかな。


弁明とか、どうせ時間の無駄だから
別のことやるよ....

自分の力がどうの、なんて
昔は気にしていた気もするけど、
今はもう、どうでもいいんだよな。


あと、この場合の弁明って、
たとえば、悪く言ってる相手とか、
第三者に向けて、じゃないよ。
自分自身に対する弁明を
放棄している、ってこと。


この状況、自己評価高い、とか
低いとか適正とか言われると違和感ある。

自己評価、判定不能、あるいは
対象外というのが一番近い。



ちょっと違うかもしれないが、
多分、こういうのが、
皆が言う、うまく自己肯定出来てる
ってことのような気もする。

だとしたら、そもそも
自己肯定がどうの、と言ってるうちは
自己肯定不可能なのでは...?


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なので、自己肯定感が
どうのという話題を見るに、

まあ、当人にとっては
人生の一大事なんだろうけど、
全然そっちじゃない
んだろうになあ、という印象。


でもこういうの、生死が掛かる
ような状況になったら、
吹っ飛ぶんじゃないの?
まあ、生死までは言い過ぎだけど、
それにしても、適正な負荷、もしくは
バイアスが掛かって無いのかもなあ、
と思う。



自己肯定感が低い、の対義語は
自己肯定感が高い、でもなければ
自己肯定感が適正、でもない。


そんなものは自己肯定感が低い、
という気持ちに囚われている
状態での思考だよな....

低い、の対義語が、高いor適正
だと思っているのが不幸な誤解
を生んでる気がする。


正しい対義語は、そんなものには
そもそも意識がいかない、
か、あるいは
それは君の意識が作り出した
幻想、あたりが適切なんだと思う。

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