いや、そもそも
研究職が待遇悪いとか、大学院出るか、とかの議論の前に。
実家や嫁さんの実家が資産家で、死ぬまで働かなくても食べてける、とかでないかぎり、
食い扶持を稼がなきゃいけないわけで。
力仕事をするのも、論文書くのも、まずは稼げるかどうかが、等しく問われているんじゃないかと思う。
食べることに足りてから、崇高な思想とかを論じるべきで。
食べられないことと、貴賤?をすり替えてはいかんと思うんだが。
あるいは、そういった大事なことを、どこからも示唆されることがなかった、という事実を表しているのか...
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自分が最初に入った会社を辞した一番の理由は、しばらく勤めて、このままでは、
家族もろとも食っていけなくなることが見えたからなんだけど。
もともと趣味みたいな会社で、給料出なくても働きたい?みたいなノリの所も
あったのだけど。
本当に薄給で、みんなどうやって暮らしているのかなあ、と思っていたら、
結構な確率で、社員の実家は資産家、なんて感じだった。
なるほどなあ。
でも自分の境遇ではそんなこと無理なので、スキルやキャリアを売り込んで、
収入を増やす戦略に切り替えた。
こんなところにいたから、死ぬまで何もしなくても食ってける人たちの例はたくさん見たし、
その思想、暮らしぶりも、色々見れた。
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いくら、崇高だろうがなんだろうが、買い手のつかない仕事をやっている以上は、
食えなくなるのは当然の事だと思うんだが。
昔(今でも?)で言えば、音楽をやりたい人間は、食えないことは織り込み済みで
食えなくても、割り切って、そのことには文句言わずやってきたと思うんだけど。
研究職が食えないのも、全く同じロジックだと思うんだけど、なんでこっちはみんな
文句たらたらなのか、いつも理解に苦しんでいる。
音楽に比べたら、崇高だとでも言うのが理由なのか。
自分も、学校行く費用は全額出してもらったが、だからこそ、高等教育は贅沢品だと思っている。
崇高なことをやっているから、食えて当然。食えないのは社会その他に問題がある、
とかの論調は、まあ甘えだな、と思ってしまう。
どうにもならなくなる前に、目を覚ますべき。
厳しいことを言うようだが、世のビジネスは厳しいことを隠していい気持にさせることで
稼いでいたりするからね。
食べたいだけ食べてダイエットとか...
そんな甘い話はないと思っても、嵌ってしまうひとは後をたたないのだ。
食えない学問をやる、やれるのは、一生、趣味でだけでも生きて行けるような
境遇の人にだけ許された贅沢だと思う。
でも古来から、そういう人が学問を繋いでいたのだと思う。
そして、贅沢品にカネを出すのは、企業や個人のパトロン、タニマチなのであって、
税金とか公金なんて、もってのほかだと思う。
そのこと自体は悪くないと思っても、必ず利権化して、結局怪しいことになるからだと思っている。
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