夏も終わり
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CPUボードのはんだ付け作業
CRは0603メトリックサイズ。
もはや、裸眼では、どこにCRが付いているのか判別不能だ。
でも、実体顕微鏡下でなら、なんてことない。
x10設定の倍率も、1608ではちょっと大きすぎるが、0603だと丁度良い。
1608だと、x5くらいが視野の関係でちょうどいいのだけど、
今、手元の環境では選べない。
とりあえず、作業は問題ないことは分かった。
付けるときのはんだの状態も目視できて、安心感もある。
一つ問題は、愛用のピンセットP-891の先端が、視野ではバールのようなサイズに見える。
もっと、凶悪に研いで尖らせないと、ピンセットの先端自身が邪魔で、
保持した部品が見えない。
このサイズだと、やすりで尖らせるもの大変そうだから、
オイルストーンでも買って来ようかな。
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これなら多分、もっと小さい部品でも、難なくつけられそう。
次は0402メトリック行ってみるか?
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さて、stm32のフラッシュメモリ書き込みなんだけど。
書き込みポートは、それだけに使うだけじゃなくて、動作中のログを読み込んだり、
パラメータを設定したり、デバッグコマンドを仕込んだりと、いろいろ使いたい。
USBポートの頻繁な付け外しは、PCの不安定動作につながるのでやりたくない。
さらにマウスだと、接続のコネクタも減らしたいし、ピンも減らしたい、というわけで、
いまだに、シリアルポートから書き込んでいるのだけれど。
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この辺で、ちょっとしたコツというか、押さえておかないと微妙に苦労したりすることがある。
STM32F1なんかじゃ、まず大丈夫だけど、F4あたりだと...
BOOTピンを使って、書き込みモードに入れるんだけど、なかなか
ツールに応答してくれないことがあったりする。
うまく行くときは行くんだけど、ダメな時はずっとダメとか。
典型的な症状だが、苦労している人は色々いるようだ。
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書き込み用のシリアルポートは、USART1を使っていることが多いと思うけど、
USART3や、CAN、SPI、I2Cなんかも使えるようだ。
CANなんかはこの際、あんまり問題にならない。
この書き込みにつかなわい(つもりの)USART3の
ピン処理をミスって(放置して)いたりすると、よく嵌る。
書き込み用のシステムプログラムは、BOOTモードで起動すると、
USARTの各端子を初期化して、最初のキャラクタが来るのを待って、
キャラクタが来たポートを使って、書き込み動作に入る。
非同期シリアルのロジックは、0Vがマークだ。
USARTのRx端子を放置しておくと、だいたい0Vになっているものなので、
いきなりデータを受信(したことに)してしまう。
自分ではGPIOピンなんかで使うつもりでも、BOOTモード起動時はUSARTピンだ。
だもんで、いくらUSART1で書き込むつもりでも、USART3の端子を適切に処理してないと、
そっちが先にデータを受信したことになって、USART1からは書き込めなくなる。
まあ、たまたま運よく(?)USART3のRXピンの電圧が泳いでいると、
USART1の方を受け付けてくれたりするのだ。
これが、時々たまにうまく書き込める理由だったりする。
しかも、USART3のRXピンは、PB11とPC11、2つあって、
ご丁寧に両方有効にされていたりする。
余計なことを....と思いながらも、BOOTモード時には、
Hレベルで固定されるようにプルアップとかをしておかないとうまく行かない。
またUSART1のRxピンも同じ理由で、RESET解除時には、必ずHレベルになってないと、
本来のシリアルデータが来る前に、書き込みシーケンスに入ってしまい、
書き込みが失敗するのだ。
その関連で、ボード外部にレベルコンバーターを付けて、
ロジックレベルで基板とつなげようとすると
パワーオンリセットでの書き込みが苦しくなって、
外部リセット信号が必要になったりする。
あれこれ悩んだけど、結局なるべく232Cレベルコンバーターは、
ボード上に乗せる、という方針でやっている。
stm32だけでなく、ルネサスなんかも、同じようなシーケンスで
はまるのは定番だ。
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まあ、苦労するのも楽しみだけど、モチベーションが枯れてしまうのもアレなので、
このあたりにひっそりと記しておくこととします。
そろそろ各位のメインボードも火入れの時期かと思います。
検討を祈ります。
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海外との比較での話なら、(気持ちは)分からんでもないですね。
環境はそれぞれですからね。
なにか不満があれば、そういう所に気持ちが行ってしまうのが人間でしょうし。
(あいつみたいな、金持ちの家に生まれれば、音楽できたのに、とか)
逆に海外では食えない仕事でも、日本であれば生活できるものもあるので。
シビアですが、日本国内ですら、(研究職を含む)おなじ仕事をやったとしても、
立ち位置、所属で収入が何倍も違うのは、そういうもんだと思っています。
それについて不満を持つのは、いまさらな気がしますし、
運の部分も大きいので、こうすればいい、なんてものも無いような気がします。
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研究職が待遇悪いとか、大学院出るか、とかの議論の前に。
実家や嫁さんの実家が資産家で、死ぬまで働かなくても食べてける、とかでないかぎり、
食い扶持を稼がなきゃいけないわけで。
力仕事をするのも、論文書くのも、まずは稼げるかどうかが、等しく問われているんじゃないかと思う。
食べることに足りてから、崇高な思想とかを論じるべきで。
食べられないことと、貴賤?をすり替えてはいかんと思うんだが。
あるいは、そういった大事なことを、どこからも示唆されることがなかった、という事実を表しているのか...
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自分が最初に入った会社を辞した一番の理由は、しばらく勤めて、このままでは、
家族もろとも食っていけなくなることが見えたからなんだけど。
もともと趣味みたいな会社で、給料出なくても働きたい?みたいなノリの所も
あったのだけど。
本当に薄給で、みんなどうやって暮らしているのかなあ、と思っていたら、
結構な確率で、社員の実家は資産家、なんて感じだった。
なるほどなあ。
でも自分の境遇ではそんなこと無理なので、スキルやキャリアを売り込んで、
収入を増やす戦略に切り替えた。
こんなところにいたから、死ぬまで何もしなくても食ってける人たちの例はたくさん見たし、
その思想、暮らしぶりも、色々見れた。
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いくら、崇高だろうがなんだろうが、買い手のつかない仕事をやっている以上は、
食えなくなるのは当然の事だと思うんだが。
昔(今でも?)で言えば、音楽をやりたい人間は、食えないことは織り込み済みで
食えなくても、割り切って、そのことには文句言わずやってきたと思うんだけど。
研究職が食えないのも、全く同じロジックだと思うんだけど、なんでこっちはみんな
文句たらたらなのか、いつも理解に苦しんでいる。
音楽に比べたら、崇高だとでも言うのが理由なのか。
自分も、学校行く費用は全額出してもらったが、だからこそ、高等教育は贅沢品だと思っている。
崇高なことをやっているから、食えて当然。食えないのは社会その他に問題がある、
とかの論調は、まあ甘えだな、と思ってしまう。
どうにもならなくなる前に、目を覚ますべき。
厳しいことを言うようだが、世のビジネスは厳しいことを隠していい気持にさせることで
稼いでいたりするからね。
食べたいだけ食べてダイエットとか...
そんな甘い話はないと思っても、嵌ってしまうひとは後をたたないのだ。
食えない学問をやる、やれるのは、一生、趣味でだけでも生きて行けるような
境遇の人にだけ許された贅沢だと思う。
でも古来から、そういう人が学問を繋いでいたのだと思う。
そして、贅沢品にカネを出すのは、企業や個人のパトロン、タニマチなのであって、
税金とか公金なんて、もってのほかだと思う。
そのこと自体は悪くないと思っても、必ず利権化して、結局怪しいことになるからだと思っている。
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徒然と駄文。
最近、急にヨーロッパ方面で、内燃機関の自動車全廃、EVへの移行なんて
話が盛り上がっている。
多分に技術論ではないなあ、と思っているんだけど、世間の見方もまあ様々だ。
EVなんてある意味とっくに普及していて、実際なにがどうならないといけないか、なんて
知ってる人はみんな知ってる、と思ってるのだが....
なんだか身の回りの業界でも、ぜんぜん興味が無いみたいだ。
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EVも内燃機関車両も同じかといえば、実際には大きく特性が違う。
でも、なるべくユーザーに抵抗感を持たせないためか、EVも内燃機関の車両のような
雰囲気で演出されている。
まあ、商売上はそういうもんかもしれないけど、このあたりが逆にEVの普及を
妨げているような気がする。
誤解というか、短期的で誤った印象誘導のおかげで、顧客はずっとEVに失望する
のを繰り返しているというか。
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ずっと思っていることだけど、実は内燃機関は自動車の動力源としては
あまり素性が良くない。
モーターと電池の方が特性的には、はるかに自動車に向いている。
でも、すべてのインフラや意識が、内燃機関の車両を前提にしていて、
なかなかそこに気づけない。
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EVはバッテリ性能が~と言われて久しいが、
実はすでに十分な電池の容量を持っているような気がする。
ただし、走行は20~30km/hくらいで、の話だけど。
このくらいの速度なら、今のEVでも問題なく一回の充電で、
4~500kmくらい走れそうに思う。
でも普通の車のように60~100km/hで巡行すると、この数分の一も走れない。
バッテリの時間率の問題が大きいように思う。
内燃機関はこの逆で、20~30km/hでの走行では著しく燃費が悪く、
100km/hあたりで巡行すると、効率が良くなる。
うまくしたもので、内燃機関では効率の悪い所は、燃料の絶対的な使用量が少なくて、
心理的にあまり損をしている感じが無い。
EVは、速度を上げるとどんどん効率が悪くなるように見えて、内燃機関でできることが
EVでは出来ないように見えてしまう。
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バッテリの原理から言えば、時間率の問題からは逃げられないので、
高速域で、内燃機関とそん色ないところまで、性能を引き上げるためには、
低速では例えば、一回の充電で2000km以上走れるような性能を持つことに
なるんじゃないか、と思っている。
内燃機関の車両は、(色々な歴史的経緯のおかげで)一般道と高速道路を
わりとうまく使い分けられる。
というか、内燃機関の特性を生かすために、高速道路が発明されたともいえる。
高速道路を満足に走れるEVは、一般道ではとんでもない距離を
走れることになるけれど、商品として、そこまでのバッテリ性能を持たされるとは
とても思えない。
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高速道路、というものを廃止というか、過去の物とする決断ができるのなら、
EVも普及するかもしれない。
でも。今まで通り高速道路も走りたい、というのであれば
まだまだ時間はかかるし、EVは永劫に普及しないかも。
自動車というものは、今の原付くらいの速度域で走るもの、という
意識を作ることができれば、問題なくEVは普及する様な気がする。
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いざ必要になった時に、中身を開けられる(物の素性&扱う人間のスキル両方)
ものなら、ブラックボックス、全く問題ないですね。
それは、正しいブラックボックスと思います。
不味いのは、扱う人間が(主にスキル的に)手に負えないから、
なんだか分からないけど、これ使えば動く(はず)、といって導入するものです。
ちょくちょく、そんなものの後始末に駆り出されます。
これ、どうするつもりだったの?と聞くと蜘蛛の子を散らすように
居なくなったり、それを何とかするのがお前の仕事だ、
とかの論調でキレられたりします。
失敗なら失敗でいいから、最後までやらないと身に付かないよ、
と言ってみたりするんですが...
仕事とはいえ、ブラックボックス禁止令を出したい気分ですw
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世間では、技術的に扱ってる物が、ブラックボックスの状態では、
長期的に自らの弱体化を招く、という事が言われて久しい。
それでも、ブラックボックスの組み合わせであれやこれや、というのは後を絶たない、
というか蔓延している。
まあ、やっつけで張りぼてをつくるなら、それでいいかもしれないけど、
それにしても多いような気がしていた。
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どうも多くの人にとっては、ブラックボックスと、そうでないものの区別が
無いんじゃないか?と思うようになってきた。
これでは、いくらブラックボックス云々言った所で、区別がついてないんだから
何をいった所で、状況は変わらない。
------
人は自分の感覚でしか物事をとらえないし。
改めて、ブラックボックスとそうでないものの違いを説明しようとすると、うまくできそうもない。
まあ、定義は色々思いつくけど、概念のない人に伝えるのは難しそうだ。
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ブラックボックスの是非についてはともかく。
みんな困れば、いやでも直っていくもんだけど。
状況があまり変わらないところを見ると、局所的には、そう困っては無いということか。
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抽象化と言い換えられて困ってしまうこともあったり。
意味が違うと思うんだけど。
単に自分が扱えないところを、吟味せずに切ってるんだから、仕事の抽象化じゃなくて
ブラックボックス化だよ。
こういうマイナスのプレゼン能力とも戦わなきゃいけないのも、なんだか無駄なエネルギーだ。
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下請け、委託仕事ばかりやってる所為もあるのかな、と思っている。
技術レベルとは関係なく、下請け仕事であれば、ブラックボックスの中身について
考えなきゃいけないのは、元請けのほうになる。
たとえ元請けがブラックボックスを開けてなくても(発注内容を理解してなくても)、
下請けには関係ないし...
下請けは、ブラックボックスだろうが何だろうか、
適当に集めて要求通りのものを収めることが一義になるし、
それが必要十分条件になっているように見える。
顧客満足度(直近)というやつか。
それで何十年もやってると、そもそも箱に中身があること自体を思いつかない
状況になるんだなあ、と感じている。
それならそれでいいんだけど、(いや国や産業として、それでいいのか?)
中身それ自体が俎上に上がると、とたんにみんな静かになるのは、どうしたものか...
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